的確で素早い問題解決のために

 技術者と呼ばれるような仕事に就けば,しばしば製品トラブルの問題に遭遇する.そんなときは,第一優先で問題解決しなくてはならない.若い技術者が駆り出され,実験やデータ解析を行って原因を究明する仕事を任される.恐らく,そういう経験をした人は多いであろう.時には,深夜の残業や休日出勤を余儀なくされ,さらに解析結果のプレゼンテーションまでさせられる.とても大変だが,やり甲斐を感じる場面でもある.
 しかし,この手の課題は難しいのが普通である.そもそも設計段階で見落としていた現象を見出すのだから,設計よりも難しいのは当然と言えば当然である.また,与えられた時間も多くはない.
 そんなとき,問題の核心を突いた明快な結論を提示できたら,どんなに素晴らしいだろう.それは,皆さん個人にとっても,会社側にとっても良いことである.本テキストは,そういう“問題解決に役立つ方法”を紹介している.
 ただ,皆さんの多くは第一線で働く技術者であるから,学習に多くの時間をかけられない.ともかく,短期間に効率よく「役立つ方法」を使えるようになることが大切である.そのためのポイントを 4つ挙げておく.
 第一は,各方法の効能(何ができるのか?)を知識として身に付けることである.これを知らないと,いつまで経っても使うべき方法が思い浮かばないだろう.理論的な証明など知らなくて構わない.とりあえず効能(使い道)を理解すればよい.まずは実践的(理論的でないという意味)に学ぶべきである.
 第二は,各方法を正しく扱うための条件や手順を知ることである.そのためには, ”matlab ”や “ octave ”を使って実際に試すとよい.理論が難しいと言って敬遠せずに,ともかく使ってみる.でも,無理に覚え込む必要はない.忘れても本テキストを復習すれば思い出せるからだ.大切なのは,効能を知って感動することである.
 第三は,感動した方法から本格的に学習することである.やさしそうな参考書を購入して勉強しよう.感動した方法なら,興味は十分なはずだ.興味があれば,少々難解な理論も理解できる.理論的な知識がしっかりすると,幅広く応用できるようになり,一段とレベルアップする.
 第四は,何と言っても実際に使ってみることである.そのまま使えるケースは少ないが,多少のハードルは応用力をつけるチャンスである.諦めずにトライする人は,必ず成長する.
 本テキストは,なるべく具体例を挙げて各方法の効能をイメージしやすいように書いてある.また,実際に役立つ使用頻度の高い方法を厳選したつもりである.第 1章以外は,各章間の関連性は薄いから,どれを最初に読んでも構わない.何か使えそうな問題があったら,是非試して欲しい.

 さて,本テキストの構成について説明する.
 第1章は,本テキストで使う数学基礎を説明している.主に線形代数であるが,語句の定義と効能を分かりやすく書いた.市販の教科書とは違い,難解な証明だけでなく解法も省略した.第 2章のシミュレーションでは,シミュレーション活用の効能を述べる.意外に利用されないシミュレーションは,大間違いを防いでくれる心強い味方であることや,難しい問題でも,シミュレーションなら割と簡単に計算できることを述べる.第 3章の回帰分析は,最も一般的な実験データの解析手法であり,簡単に言えば “多変量線形モデルの推定 ”である.笑えない笑い話だが,実験が不備であったために,結局は回帰分析も行えなかったという実験データは実に多い.実験の前に,解析方法を想定しておくことを理解して欲しい.第4章の分散分析も原因別に誤差を定量的に分解する推定方法である.誤差低減対策を講じる際は,影響度の大きい順に対処しないと非効率であるから,対策の計画を立てるのにとても役立つ.第5章の統計的検定は,データから判断を下す際に役立つ.非常に重要な場面で使う方法だから,本テキストで最も重要な章であるとも言える.ここでは,ノンパラメトリック検定という使い勝手の良い方法を紹介する.第6章のベイズ統計は,類似実験のデータや過去データを有効利用する方法である.特に,本実験のデータ数が少ない場合は,予測に威力を発揮する.第7章の実験計画法では,実験の割り付け方法に絞って説明し,少ない実験数で多くの情報を得る直交表の使い方を説明する.また,失敗実験を避ける注意事項とタグチメソッド(品質工学)の考え方を解説する.これらの技法は,実験やシミュレーションを効率的に実施するのに有効である.第8章の主成分分析は,現象の因果関係も全く見当が付かない時点で使うことが多い.因果関係に見通しがついているときの回帰分析とは,その点で異なる.第9章のスペクトル解析では,スペクトル解析が分散分析の一つであることを示し,パーセバルの定理を用いた分析手法を紹介する.この方法は振動低減策を考えるのに大変有効である.また,データ長が短い場合の問題点を指摘し,自己相関関数による解析が有効であることを示している.第10章の伝達関数は,制御系などの入出力の関係を表現する一般的な方法である.ここでは,伝達関数のボーデ線図から系の特徴を読み取る方法を述べる.
 第1章から第10章まではデータ解析に関する内容であるが,そのうち第5章まではデータ解析の基礎であり,誰でも知っておいて欲しい内容である.第6章から第8章も静的なデータを扱う統計学の範囲と言えるが,少し特殊な部類に入る.使う機会は多くはないが知らなくて良い訳でもない.第9章から第10章は,時系列データの解析である.信号データを扱うことがある人は,頻繁に使うので正しく理解しておかなくてはならない.第1章から第10章までは,対象を色々な視点から分解して対象の性質を暴く,つまりアナリシスである.
 一方,さまざまな要素を上手に組み合わせたり調整してまとめることをシンセシスという.素晴らしいものを創造するには,対象の本質を理解するアナリシスの能力と目的に適合する最良の解を導くシンセシスの能力の両方を持っていなくてはならない.
 第11章の機構系モデルは,正しい振動方程式を立てるコツを述べており,第12章の制御系モデルは,ブロック線図の書き方と扱い方を述べている.一般に,動的問題は静的問題に比べて難しい.しかし,自分で微分方程式を立てることができれば,それほど難しくない.ラプラス変換の知識が少しあれば,線形多項式で問題を解ける.また,制御系にしてもブロック線図の知識があれば,相当のことが理解できる.これらは,数学モデル上で対象を具体化するのに不可欠な知識である.
 しかし,真に優れた技術者はここで満足してはいけない.誰にも負けない最高レベルの設計を目指すべきである.そこで,必要になるのが第13章の最適化手法である.ここでは,線形問題を最小2乗法と線形計画法で最適化する方法,および非線形問題を線形問題に置き換えて簡単に解く方法,多変数の非線形問題を 1変数の問題に置き換える方法など,モデルの工夫によって最適化問題を簡単に解く工夫を紹介する.

 本テキストの構成はシステム工学の参考書と少し似ているが,なるべく汎用性の高いものから順に,比較的類似したテーマが連続するように配置した.過去に数回書き直しているが,その都度,新しいテーマを追加してきた.品質工学(タグチメソッド)とかベイズ統計とかは,実際に使った機会に追加したものである.
 テーマは大きく分けて,データ解析手法,モデル化手法,最適化手法の3つである.技術者が数学を使うのは,対象の数学モデルを作るためのデータ収集(実験を含む)を行い,そのデータを解析して数学モデルを作成し,そのモデルからより良い設計や操作方法を導くという流れに沿っている.データ解析とモデリング,最適化の3つは,システム全体を論理的に考え,解決策を提示する強力な手段である.かなり幅広いので,一朝一夕に習得することは難しい.しかし,慌てることはない.出現するあらゆる問題に本テキストの方法を試してみれば良い.多少の苦労はあるだろうが,解決したときの満足感や達成感は何物にも代えられぬ喜びがあり,同時に著しい成長を手にすることができる.

 最後に,伝えたいことが3つあるので,以下に述べる.まず,使用するソフトはmatlabあるいはoctaveである.matlabが自由に使える人はmatlabを使えばよい.そうでない人は,matlabクーロンのoctaveを使うと良い.無料でインストールできる.
 次に伝えたいのは,実践的に学ぶことへの注意である.確かに,本テキストは実践的に学ぶことを推奨している.これは,基礎理論から入るよりも,実践から入る方が容易だからである.決して「基礎理論を知らない方が良い」とは言っていない.知っていた方が良いに決まっている.基礎理論がしっかりすれば,応用力も説明力も身につく.実際,筆者は基礎理論を学びながら実践し,工夫を重ねることで本テキストの方法を考えた.皆さんも,興味が湧いたら是非とも良い参考書を手に入れ,勉強すべきである.きっと,筆者より良い方法や,まだ提案されていない色々な方法を見出せるはずである.
 最後に,個人的な希望であるが・本テキスト手にした人は,科学技術者(科学的方法を自在に応用できる技術者あるいは商品化に意欲ある優秀な科学者)になることを目指してほしい.大袈裟だと笑われるかも知れないが,資源の少ない日本が豊かであり続けるには,科学的技術で価値を高めた有形無形の商品で外貨を稼ぐしかないのである.その主役は,理論にばかり熱心な科学者でも,科学に関心の薄い技術者でもなく,科学的手法に長けた技術者あるいは商品化に意欲ある優秀な科学者のどちらかである.それは,歴史上の輝かしい発明や技術革新を調べてみれば明らかである.

 本テキストは科学技術者になるための入り口にすぎない.科学技術者になるには,常に科学者達の研究成果を探索し,理解し,優れた成果を応用できなくてはならない.そのためには,各学 会の査読付き論文を調査することが大切である.査読付き論文とは,該当分野の専門家による審査をパスしたものだけが掲載される論文であり,各学会の論文集(ジャーナル)に掲載される.内容も審査されているので安心して読むことができる.逆に,大会講演論文集や予稿集に掲載される論文は,その殆どが査読なし論文である.当然のことだが,査読なし論文には質の低いものが含まれている.従って,特別な理由がなければ,調査は査読つき論文に限定して調査するのがよい.
 国立情報学研究所で提供している論文情報ナビゲータ CiNii は国内の学協会で発行している論文を収録しているので,大変利用価値が高い.「CiNiiに本文あり」という条件を付けて検索すると,ほぼ査読付きの論文に絞って検索してくれる.
 もう1つ有効なのが,科学研究費補助金データベース KAKEN である.これで検索すると,国内の大学や公的研究機関の研究者を調査できる.有望そうな研究をしていたら,積極的にコンタクトをとって情報収集したらよい.
 他には科学技術情報機構の J-GLOBAL や国内学協会の電子ジャーナルをオンラインで読める J-STAGE など,色々ある.
 昔,学会の論文を入手するには大学図書館に行って複写するか,複写依頼するしかなかった.依頼してから入手するまでに時間もお金もかかったが,今は,無料でも結構な量の文献を収集できる.

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